about島崎藤村と伊藤屋

先生は伊藤屋の1番の部屋を気に入り 私たちにとって終生忘れえぬ部屋となった
─島崎静子著「ひとすじの道」より─


島崎藤村と湯河原

島崎藤村(1872年~1943年)は、詩・随筆・小説と幅広い文学活動を通じて日本の近代文学史上に不朽の業績を残しています。

昭和の初めごろ、藤村は長編小説『夜明け前』の執筆にとりかかろうとしていました。それに伴いいかに健康を保持するかが関心事となり、妻静子の父(医者)に相談したところ湯河原温泉を静養先として勧められました。妻の回想によれば、「当初湯河原温泉の宿を1・2回替わったが、先生は伊藤屋の1番の部屋を気に入り、私たちにとって終生忘れえぬ部屋となった」と記されています。


当時の宿帳と逗留時の大福帳

藤村は、1928年(昭和3)から十余年の間、年4回の出版社への原稿提出後、約1週間、温泉保養をかねて伊藤屋で心ゆくまで寛いだといわれています。当時の宿帳と過ごし方を窺い知ることのできる大福帳は、弊館ロビーに展示され公開されています。


島崎藤村の書<1>

弊館には藤村が投宿中にしたためた墨書が2種あり、現在は表装され、掛け軸として大切に保存されています。

一本は「一茶の言葉をしるして伊藤屋主人におくる」と添え書きして、「はつ袷は着心のよきものなるに、蛇殿の古き地うち捨てて新しきに着替えたる、蛙が水にも陸にも一張羅なるに比べてとかく奢りの沙汰なり」。


島崎藤村の書<2>

もう1本の軸は若菜集で、「伊藤氏方にありて旧詩潮音一章をしるす」とあります。「わきてながるるやしほじの そこにいざよふ うみの琴 しらべも深しものかはの よろづのなみを よびあつめ ときみちくればうららかに とほくきこゆる はるのしほのね」


湯河原温泉での藤村夫妻

藤村夫妻の湯河原温泉での暮らしぶりは、どのようなものであったでしょうか。1938年(昭和13)の書簡によれば、「毎日の日課として、午前は読書、これでは勉強に来てゐるのか分からぬほど。午後三時より散歩」とあります。静子夫人は滞在をずらして、一日ぐらい泊まっては夫のじゃまにならぬよう気を遣っていたようです。

「わたし達はいつでも湯河原駅につくと、なぜか一切のものからの開放を感じた」と書く静子夫人の言葉は、藤村の持つ島崎家の暗い幻影や心の影から遠ざかり忘れさせる時をもちえたことを安堵の気もちで表しているといえます。


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